「第30回南越谷阿波踊り」が節目の年を迎え、地元の方々も例年以上に力が入り、熱気とともに盛大に盛り上がった。
本場・徳島「阿呆連」による流し踊り。終戦後(1942)徳島の地に平和と豊かさを取り戻そうと結成され、正調の阿波踊りを披露している。
踊り鳴り物にメリハリをつける太鼓。阿波踊りでは、太鼓が踊り子達の表情に華を添え、他の鳴り物を飛躍させる。
阿波踊りの鳴り物は、「笛」や「鉦(かね)」、「三味線」、「鼓(つづみ)」、「締め太鼓」、「大太鼓」などで構成されている。三味線は、鳴り物の中では最前列で演奏される。
女踊りは、女物の浴衣に編笠を深く被り、草履ではなく下駄を履くのが特徴である。艶っぽく、上品に踊るのが良いとされている。
男踊りは、半天を着て踊る半天踊りと、男浴衣を、しりからげに着て踊る浴衣踊りがある。
男女混合男踊り、踊りの振りは大きく時には勇猛に、時には滑稽(こっけい)に踊る。提灯やうちわ、手ぬぐいなどを持って踊ることが多い。
青少年の踊りは、男踊り、女踊りを混合して踊っている。どちらかと言えば男踊り(半天踊り)の方が多い。
少女の女踊りは、大人の女踊りの衣装を子供サイズに縮小しただけなので、妖艶さに可憐さを兼ね備えた印象を与えている。
阿波踊りを南越谷に提唱したのが、徳島県出身で南越谷に本社を置くPOLUS(ポラス)の創業者、中内俊三氏である。本場、徳島・(正調)阿波踊りを終えた「阿呆連」のメンバーがPOLUSU本社前に集合した。
65万人が来場した夏の風物詩、南越谷阿波踊り!!
「南越谷阿波踊り」が今年で30回目を迎えた。男性の躍動感あふれる男踊り、女性の足裁きの音と優雅でしなやかな女踊り、可愛らしい子供たちの踊り。本場の徳島、東京の高円寺、そして南越谷の阿波踊りは、日本三大阿波踊りと称され、延べ6000人の踊り手が参加。約65万人を超える観光客が訪れた。阿波踊りは、元来四国の徳島が発祥の地で1587年に徳島城を築城した際、その落成祝賀行事に城下の人々が踊ったのが始まりと言われている。その阿波踊りを南越谷に提唱したのが、徳島出身で越谷市に本社を置く住宅メーカーの社長が始めたのがきっかけである。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」のお囃子どおり踊る阿呆となって、本場、阿波・徳島の踊り手による踊りを間近で満喫できて、一体感を味わえるのも南越谷ならではの真夏の夜の祭典である。
越谷市は、埼玉県の南東部に位置する人口約33万2千人の市である。江戸時代には、日光街道の宿場、越ヶ谷宿として栄えた。「越谷」の地名は、1954年の合併により越谷町が成立したとき、合併前の越ヶ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。「国民健康保険発祥」の地でもある。国民健康保険発祥の地の石碑が、現在の市役所敷地内に立てられている。
撮影日: 2014年8月24日
撮影場所:南越谷駅前演舞場
住所:埼玉県越谷市南越谷一丁目21-1