「慈母観音像」
本堂の前の子育観音は有名である。母親が子供に乳を与えている姿が美しく表現されている。やさしい母親と無心な子供の姿に、見る人はみな感心をしている。
「観音堂」
この観音堂は、江戸時代の建物である。正面3間の宝形造で、堂内には本尊「十一面観世音菩薩」が安置されている。
「観音堂の扁額」
観音堂正面の「扁額(へんがく)」には御詠歌が刻まれていて、扁額の中央には十一面観世音菩薩のレプリカが飾られている。金昌寺は「荒木寺・新木寺」とも呼ばれていた。扁額にも荒木寺の文字が刻まれている。
「六角堂」
六角堂内には「修験者(しゅげんじゃ)」の祖といわれる役行者の像が安置されている。修験者は「山伏(やまぶし)」ともいわれ、髪をそらず、半僧半俗(はんそうはんぞく)の姿に錫杖やホラ貝を持ち野山を巡る験者(げんじゃ)をいう。
「仁王門」
大きな草鞋(わらじ)がかかった朱塗りの楼門形式の仁王門。門の左右の金剛力士(仁王)像は、像高約2メートルで秩父札所では最大である。仁王門をくぐると、境内の斜面は石仏で埋め尽くされている。
「仁王門2階の五百羅漢」
「羅漢(らかん)」は、釈迦如来の弟子で実在した人々である。釈迦如来が亡くなったときに集まった500人の弟子を「五百羅漢」といい、この弟子を祀っている。
「酒飲み地蔵」
右手に徳利をもち、左手で大盃を逆さにしている石佛がある。秩父札所酒呑み地蔵と呼ばれており、この地の名主さんが、お酒の上で失敗したので、「もう酒は呑みません。」と代官の前で誓ったのに由来すると云われている。
「境内の石仏群」
境内の石仏群は、おおよそ1300体以上にもおよぶ。埼玉県の指定文化財でもある。秩父盆地の西側でとれた「岩殿沢石(いわどのさわいし)」で作られている。江戸時代に天災などによる犠牲者の供養と寺の興隆を願い安置された。
「亀の子地蔵尊」
東京日本橋横山町の商人「丹波屋」の五郎兵衛が先祖を供養するため造立したとされている。「亀趺(きふ=かめ形に刻んだ台石)」の上に座る地蔵尊である。
「丈六の十一面観音」
釈迦如来の身長は1丈6尺(約4.85メートル)で、人の倍の背丈があったと云われている。1丈6尺を略して「丈六(じょうろく=仏語)」といい、仏像の大きさをあらわす寸法である。
「奥の院」
六角堂より石仏が並ぶ小道を進むと、「奥の院岩屋」がある。時代の異なる地層が重なり合う「不整合」の崖に、弘法大師像が祀られている。また、この「不整合」の崖からは「霊泉の井」と呼ばれる水が滴り落ちている。
秩父札所第4番 高谷山・金昌寺を動画でご覧ください。
「金昌寺の御朱印」
「高谷山(こうこくさん)金昌寺(きんしょうじ)」
宗派/曹洞宗 本尊/十一面観世音菩薩
この札所は、県指定民俗資料石仏群のある寺として知られ、本堂は、三間四面、様式は唐風の江戸中期の建築である。本尊は、十一面観世音立像で、像高107センチメートル、室町時代、行基菩薩の作といわれている。大きな草鞋(わらじ)がかかった、朱塗りの山門をくぐると、境内の斜面は1300体余りの石仏で埋め尽くされている。
撮影日: 2021年08月26日
住所:埼玉県秩父市山田1803