「矢的(やまとう)」行事が行われた。秋の流鏑馬では、15歳前後の少年が「乗り子」と呼ばれる「射手(いて)」を務める。
「あげ馬(馬見せ)」行事が行われた。祭馬のうしろには多くの人たちが軍勢として付き添っている。この人たちは、各祭礼地区の中心とした人々で、各行事で活躍する。
正装姿の乗り子を乗せた祭馬一行が馬場に入り、馬場を行進する「あげ馬(馬見せ)」は、大きな見どころである。
「扇子(センス)」の馬上芸が披露された。
この他、馬上からミカンや餅のおひねりが撒かれる。
「ムチ」の馬上芸が披露された。ムチを両手で高く持ち上げ、馬を疾走させる技術が見どころである。
古式ゆかしい「流鏑馬(やぶさめ)」が行われる「出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)」は、毛呂山町のほぼ中央の小高い独立丘陵である「臥龍山(がりゅうさん)」の上に位置している。
「出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)」の流鏑馬の起源は、康平6年(1063年)「源義家(みなもとのよしいえ)」が、奉納したのが始まりと伝えられている。
神社境内の能舞台では、「三筒男神(さんつつおのかみ)」が演じられていた。
日本の伝統的な騎射!!
秋の「流鏑馬(やぶさめ)祭り」が、出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)で開催された。毛呂山の流鏑馬は、鎌倉時代から戦国時代の終わりまで、「毛呂季光(もろすえみつ)」が治めた領地、毛呂郷(現・毛呂山町)の人々によって行われていた。現在では、その毛呂郷を大きく3つの祭礼区に分け、各地区から1頭ずつ馬が出され、3頭の馬により流鏑馬が奉納される。秋の流鏑馬は、15歳前後の少年が「乗り子」と呼ばれる「射手(いて)」を務める。本祭りの「夕的(ゆうまとう)」は、毎年11月3日(文化の日)に行われる。前日深夜に乗り子たちによる「追出(おいで)」の餅(力餅)つきに始まり、午後からの夕的にむけてさまざまな行事が行われ、夕的で乗り子が矢を打ち、祭りはクライマックスを迎える。
「流鏑馬祭り」の行われる「毛呂山町」は、埼玉県南西部にある人口約3万4千人の町である。西部は自然が残る外秩父山地、北東部には岩殿丘陵(いわどのきゅうりょう)がかすめ、東部は水田が広がる低地である。果樹園が多く、特に「柚子(ゆず)」の産地として知られている。
撮影日: 2019年11月3日
撮影場所:出雲伊波比神社
住所:埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5丁目17−1