脚折雨乞(すねおりあまごい)

白鬚神社・雷電池児童公園

【鶴ヶ島市】

撮影日:2024年8月4日

脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

「龍神(龍蛇)」が雷電池(かんだちがいけ)に到着すると、担ぎ手とともに池に入水する。4年に一度、オリンピックと同じ年行われる行事である。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

白髭神社の神職による”入魂の儀”が執り行われ、龍蛇(りゅうだ)が「龍神」となった。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

竹と麦わらで作られた長さ36メートル、重さ3トンの「龍神(龍蛇)」が300人の男衆に担がれ、白鬚神社から雷電池(かんだちがいけ)までの約2キロメートルの行程を練り歩いた。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

山伏がホラ貝を吹き、雷電池を清め、上州板倉雷電(らいでん)神社から持ってきた池の水を散水する。この後「龍神(龍蛇)」が担ぎ手とともに入水する。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

「雨降れたんじゃく、ここにかかれ黒雲」と、降雨祈願の言葉を観客の人たちと一緒になって唱和しながら、池の中を勇壮に練り回る。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

池の中で雨乞いを行った後、「龍神(龍蛇)」は担ぎ手によって解体され、天へと昇っていった。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

雷電池(かんだちがいけ)公園では、各種イベントなども開催され、大勢の観客が「龍神(龍蛇)」の到着を待っている。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】 | フォトさいたま

「白鬚神社(しらひげじんじゃ)」
脚折雨乞で「龍神(龍蛇)」を製作し、雷電池(かんだちがいけ)へ渡御の出発地となる神社。


脚折雨乞(すねおりあまごい)を動画でご覧ください。


4年に一度行われる「雨乞(あまごい)」!!

全長36メートル、重さ約3トン、竹と麦わらで作られた「龍神(龍蛇)」が、300人に担がれて白髭神社を出発し、雷電池(かんだちがいけ)までの約2キロメートルを練り歩いた。「雨降れたんじゃく、ここにかかれ黒雲」などと叫びながら池の中を回り、雨乞いをした。昔々雷電池のほとりにある脚折雷電社(すねおりらいでんしゃ)で雨乞いをすると、必ず雨が降った。しかし寛永の頃、池を縮めて田を作ったことにより、池に住んでいた大蛇が上州板倉(現在の群馬県板倉町)にある雷電(らいでん)神社の池にいつしか移ってしまった。そこで上州板倉雷電神社で降雨祈願をしてもらい、神社の池の水を持ち帰り脚折の雷電池に注ぎ、白髭神社の神職が降雨祈願をした。すると快晴の空がたちまち曇りだし、まもなく雨が降り始めたとされている。現在は、4年に一度、オリンピックと同じ年に行われる行事である。

鶴ヶ島市は、埼玉県の中部に位置する人口約7万人の市である。日本武尊の東国征伐の折に、人馬が脚を折ったことにちなんで、「脚折(すねおり)」の地名がついたといわれている。「脚折雨乞」は1964年(昭和39年)を最後に途絶えたが1976年(昭和51年)に住民の手で復活した。国の無形民俗文化財にも指定されている。


脚折雨乞(すねおりあまごい)【白鬚神社・雷電池児童公園|鶴ヶ島市】渡御コースマップ | フォトさいたま


撮影日:

撮影場所:白鬚神社・雷電池児童公園

住所:埼玉県鶴ヶ島市脚折地区

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