鷹狩りの途中に雨に遭遇した太田道灌が“蓑”を借りるため民家を訪ねた際、出てきた少女が何も言わずに一枝のヤマブキを差し出した。その意味が分からなかった道灌は「七重八重花は咲きけれども山吹の実一つだに無きぞかなしき」という歌を教えられ、少女の思いを知った。そして道灌は歌道を志し、文武両道の名将になったと云う縁の地である。
公園のシンボル、水車小屋が27年経過し、屋根の葺き替えや外壁の塗り替え工事などが実施された。小屋内には、新たに囲炉裏も再現された。
「八重ヤマブキ」
ヤマブキの花から「山吹色」という色名が生まれた。オレンジ色に近い濃い黄色である。往々にして“小判”の色をこれにたとえる。
「一重ヤマブキ」
ヤマブキは薔薇(バラ)科の植物で、4月中旬から5月中旬にかけて花を咲かせる。一重のヤマブキには実がなるが、八重のヤマブキには実がならない。
古くからヤマブキが自生しており、小高い山になっている。面積約8500平方㍍の公園で、水車小屋のほか、広場や散策路などが整備されている。
公園山頂には東屋があり、花見客はここでお弁当をひろげている。山頂にヤマブキの花が咲いていないのが残念である。
展望広場からの景色!越生の街並みが一望できる。夜になると、越生町を見渡す小さな夜景スッポトになる。
散策路途中には、ヤマブキのほかに山ツツジが所々に咲いている。展望広場からは、関東屈指のツツジの名所「五大尊つつじ公園」も展望できる。
園内には約3,000株の八重・一重のヤマブキが咲き乱れている。ヤマブキのほかにツツジも咲いていて、花見客の目を楽しましている。
公園の隅には、ハナミズキとユキヤナギそして春風に揺れるヤマブキがマッチして風流な趣を醸し出している。
和歌で有名な太田道灌ゆかりの地「山吹の里歴史公園」!!
「山吹の里歴史公園」の約3,000株のヤマブキが花を咲かせる季節を迎えた。公園のシンボル、水車小屋も27年が経過し改修工事が実施され、新たに囲炉裏も再現された。室町時代、太田道灌が川越の領主であった頃の話である。道灌は鷹狩りに出かけて雨に遭遇し、みすぼらしい家に駆け込んだ。「蓑(みの・ワラで作った雨具)」を貸してもらえぬか。と声をかけると、一人の少女が出てきて、黙って一枝のヤマブキを差し出した。花の意味がわからぬ道灌は怒り、雨の中を帰った。その夜、道灌がこの話を語ると、近臣の一人が進み出て「兼明親王(かねあきらしんのう)」が詠まれたものに「七重八重 花は咲けども 山吹の実一つだに 無きぞ悲しき」という歌がある。その娘は、蓑一つ無き貧しさを山吹に例えたのではないかと言った。【山吹は、七重八重に重なって沢山花が咲くのに、食える実がつかないのは貧しく情けないという意味。】少女の思いが分からずに恥をかき、のちに大いに学問にも励み、文武両道を兼ねた名将といわれるようになった。この話は広く知られており、”山吹の里”と称するゆえんである。山吹の里歴史公園のヤマブキの花は、4月中旬から5月中旬にかけて見頃を迎える。
越生町は、埼玉県のほぼ中央にある人口約1万3千人の町で、町の木が「ウメ」で、越生梅林を有する。町の花が「ヤマブキの花」で、五大尊のツツジも有名である。
撮影日: 2014年4月25日
撮影場所:山吹の里歴史公園
住所:埼玉県入間郡越生町西和田24