京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並び、日本三大曳山祭りに数えられる「秩父夜祭」。花火が打ち上げる中、6台の屋台・笠鉾が秩父神社より1.5㎞離れた「御旅所(秩父公園)」に集合した。
彫刻や刺しゅうに彩られた重さ20トンの山車(笠鉾・屋台)が長さ50メートル、斜度25度の急勾配「団子坂」を上ると、観客から大きな拍手と歓声が上がり、祭りは最高潮に達した。
祭り最大の見所である「団子坂」に通じている道路上に秩父鉄道・秩父本線の踏切がある。この踏切は、山車(笠鉾・屋台)の通過支障となるので架線を一時的に取り外す。祭りが終了するまで秩父〜影森間は運休となる。
午後6時半頃に御神幸行列が秩父神社を出発。先頭は、先導大麻、大榊、猿田彦、日月万燈、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱の列である。山車(笠鉾・屋台)行列は、御神幸行列の後であり、秩父神社を午後7時頃から順次出発する。
氏子町会の供養物・高張提灯の長い列が続いたその後に、秩父神社境内入り口付近に奉納してあった「御神輿」が御旅所に向かった
秩父神社境内では、屋台4台のうち1台が左右に張り出し舞台をつけて、年ごとの当番制で「屋台芝居」が上演される。
参拝者の長蛇の列。社殿は徳川家康による造営で、左甚五郎の作とされる「子宝子育ての虎」「北辰の梟」「つなぎの龍」「お元気三猿」などの彫刻で飾られている。
神社境内にて「神馬(しんめ)」が参拝者に披露された。「神馬」は神社に奉納された馬で、お祭りのときに使用する。しかし、馬は高価で奉納しにくく、奉納された寺社でも世話をするのが大変なので、板に馬の絵を描いて奉納した。時代の変化とともに板に願い事を書いて奉納するようになり、これが現在の祈願絵馬に変貌したものである。
山車(笠鉾・屋台)が方向転換するとき「ギリ廻し」と呼ばれる作業をする。山車の後ろに、テコの支点になる台をセットして2本のテコ棒に10人ほどがとり付いて山車の後ろ車輪を上げる。台の付いた「ギリ棒」を地面と山車の底中心部にセットしてテコ棒の力を緩めると、4つの車輪が地面から浮き、方向転換をする。
一部の山車(笠鉾・屋台)が夕方から市内を曳き廻し、秩父駅前通り、秩父まつり会館前を経由して秩父神社に向かい行列の順番を待つ。
日本三大曳山祭の一つ秩父夜祭りに20万人の観光客が冬の祭典を楽しんだ!!
「秩父夜祭」は、京都の祇園祭・飛騨の高山祭と並び日本三大曳山(ひきやま)祭に数えられている。笠鉾2基・屋台4基の豪華絢爛な山車(だし)が秩父屋台囃子の調べに乗り、冬の花火をバックに秩父神社を出発、秩父市街を曳き廻しながら約1.5㎞離れた「御旅所(秩父公園)」へ向かった。御旅所に向かう途中、西武鉄道の踏切の架線が邪魔で山車が通過できないので架線が外され、電車は運休される。最後の難所、長さ50メートル、斜度25度の急勾配「団子坂」を総重量約20トンの山車が上ると祭りの盛り上がりは最高潮に達し、観客席から大きな拍手と歓声が上がった。
毎年12月1日から6日に開催される「秩父夜祭」は、秩父神社の例大祭で、300有余年の歴史を誇っている。2日が宵宮(宵祭り)で、御神馬の奉納の儀、神楽奉奏、花火の打ち上げ、「笠鉾・屋台」の山車曳き廻しなど3日の大祭に比べると規模が小さい。3日は大祭であり、日中に例大祭祭典や屋台芝居が上演される。夜は6時半頃より、御神幸行列が秩父神社を出発、その後に「笠鉾・屋台」の山車が曳き廻される勇壮な祭りである。秩父神社の女神妙見様と武甲山の男神が年に1度、御旅所で出逢うというロマンスも伝えられている。
撮影日: 2013年12月3日
撮影場所:秩父神社と秩父市内
住所:埼玉県秩父市番場町1−3