7つの「大宮夏まつり」のひとつ「中山道みやはらまつり」がJR宮原駅東口周辺と中山道を中心に開催された。
清水勇人さいたま市長が、祭が盛り上がってきた夕方に祭の激励の挨拶に駆けつけてくれた。
宮原駅北側中山道に鎮座する「加茂宮神社」。京都上賀茂神社を勧請したと伝わり、別雷(わけいかづち)の神を祀っている。
加茂宮神社境内に集結した各町内の神輿。神社宮司によるお祓いをうけ、中山道の神輿渡御が開始された。
「宮原中神輿」
平成24年より宮原中学校生徒が指揮・渡御している中型神輿。毎年300名以上の生徒が神輿担ぎに参加している。
「別所山車」
平成23年に制作された真新しい山車。お囃子は別所囃子連が演奏。流派は桑屋流である。
昔、“おかめ”という大変心の美しい女性が安産祈願のため稲荷神社で、ひょう助と参拝している時、神様の使者キツネが現れ、“おかめ”の心の美しさに魅せられ踊り出したと云われている。この伝説から、おかめ踊り・ひょっとこ踊り・キツネ踊りが祭で軽快なお囃子に併せて踊るようになった。
「宮原町三丁目山車」
平成5年に制作。平成27年に大修理をした。お囃子は構囃子連が演奏。流派は小村井流である。
「鍛冶山車」
お囃子は鍛冶囃子連が演奏、15年ほど前に結成された新しい団体。流派は小村井流である。おかめ・ひょっとこが観客にお菓子を撒いていた。
カラーガード隊の華麗なフラッグ演技と埼玉県警察音楽隊のパレード。祭を盛り上げていた。
大宮若鳶会の鳶職による「はしごのり」が披露された。昔、町火消の中心となったのは地元鳶職であり、仕事前の準備運動や訓練のために行っていたと云われている。
「阿波踊り」
平成20年に結成された地元「加茂宮連」と「大宮氷川連」を加え約70人の阿波踊りが披露された。
さいたま市の最北、北区吉野町で活躍する子供の和太鼓グループ「鈴木鼓友会」。魅せて聴かせるダイナミックな和太鼓演奏を披露していた。
夜7時過ぎには、大小18基の神輿・山車がJR宮原駅前に集結した。
山車の曳っかわせ、神輿の担ぎ手の熱気の中、まつりはクライマックスを迎えた。
中山道にまつり囃子が鳴り響いた!!
梅雨明けと同時にものすごい暑さのなか、さいたま市北区宮原町の祭り「中山道みやはらまつり」が開催された。大小18基の神輿、山車の渡御・巡行の他、警察音楽隊パレード、民踊流し、阿波踊り、和太鼓演奏、はしごのり等が行われた。「中山道みやはらまつり」の歴史は、宮原駅東口広場で開催されていた「宮原まつり」と宮原駅西口広場で開催されていた「宮原西口サマーフェスティバル」が合体し、名称を「みやはらサマーフェスティバル」と改めて、1年おきに、東口・西口で交互に開催されていた。平成20年より主会場を宮原駅東口広場に移し、名称も「中山道みやはらまつり」に改め、神輿と山車を中心にとした郷土の歴史と伝統を継承する夏祭りへと大きく姿を変えた。加茂神社より中山道の神輿渡御がはじまり、途中より山車巡行と合流し、駅前広場に集結した。駅前広場では、山車の曳っかわせ、神輿の担ぎ手の熱気の中、まつりはクライマックスを迎えた。
宮原町(みやはらちょう)は、さいたま市北区に属する町である。北区役所や北図書館などが入る「プラザノース」があり、隣接して「ステラタウン」などの商業施設も充実している。宮原町は、1889年(明治22年)加茂宮村の“宮”と吉野原村の“原”から名前が採られ「宮原村」となた。1940年(昭和15年)大宮市宮原町となる。2001年(平成13年)大宮市が浦和市・与野市と合併して、さいたま市宮原町となった。宮原町の前身の一集落であった加茂宮村は、中山道六十九次を描いた名所絵(浮世絵風景画)組物『木曽街道六十九次』のうちの1図「上尾宿 加茂之社」に描かれている。
撮影日: 2015年7月19日
撮影場所:宮原駅東口と中山道
住所:埼玉県さいたま市北区宮原町2丁目18