公園駐車場側から見た丸墓山古墳。桜並木を散策しながら古墳頂上に登ると行田市の町並みが一望できる。
桜は、バラ科の植物。原産地はヒマラヤ近郊と考えられている。現在、ヨーロッパ、日本、中国、米国、カナダなど、主に北半球の温帯に分布している。
丸墓山古墳の3本桜と辛夷(こぶし)のコラボレーション。辛夷のことを「種まき桜・田打桜(たうちざくら)」と呼ばれ、この花の開花時期から農作業のタイミングを判断した。
花見といえばサクラ。いろいろ種類があるが、日本で植えられている桜の大半は「染井吉野」である
うすピンク色の花をつける「染井吉野」は、江戸時代に駒込染井村(現、東京駒込)で植栽が始められ、桜の代名詞「吉野桜」と呼ばれたが誕生地の「染井」の名を加えて「染井吉野」の名になった。
桜の幹には、横向きの線が入っているのが桜の特徴である。英語では桜の花のことを「Cherry blossom」と呼ぶのが一般的であるが、日本文化の影響から、「sakura」と呼ばれるようになった。
ラッパ水仙と桜のコラボレーション。桜だけを目当てに来た人にとって予想外の景色、まさに春爛漫である。
前玉神社(さきたまじんじゃ)は、さきたま古墳郡に隣接する神社である。浅間塚と呼ばれる古墳上に建てられている。境内には浅間神社もある。
前玉神社(さきたまじんじゃ)よりこの地につけられた「前玉郡(さきたまぐん)」は後に「埼玉郡(さきたまぐん)」へと漢字が変化し、現在の埼玉県へとつながった。埼玉県名の発祥となった神社である。
行田市埼玉(さきたま)の地は、現在の埼玉県の中心地であったと考えられ、埼玉県名発祥の記念碑が公園内に建立された。
丸墓山古墳の桜が満開になった!!
さきたま古墳公園の桜が満開となり、見頃を迎えた。行田市のさきたま古墳公園には、9基の大型古墳群がある。9つある古墳の中に、日本で一番大きな円墳と言われている「丸墓山古墳」がある。直径が約105メートルで高さが約19メートルもあり、ちょっとした小山のようにみえる。この古墳の頂上に、昔、地元の方が植えたソメイヨシノ3本が成長して公園一番の桜のスッポトになっている。丸墓山古墳は6世紀前半ごろに造られたと推定されている。その後、古墳は思わぬ形で歴史の舞台となる。豊臣秀吉が天下統一を進める1590年、家臣の石田三成は、秀吉の備中高松城水攻めにならい忍城(おしじょう)を水攻めにする。その際、城がよく見えるこの古墳の頂上に陣を張った。水攻めは結局失敗したが、当時、三成はどのような光景を見つめていたか、古墳の上でそんな想像しながら花見を楽しむことができる。
行田市(ぎょうだし)は、埼玉県北部にある人口約8万3000人の市である。行田市が誇る「忍城(おしじょう)」は、関東七名城の一つに数えられる名城である。行田市の埼玉(さきたま)の地は、巨大古墳群の所在地でもあり、また「前玉神社(さきたまじんじゃ)」の鎮座する場所でもある。さきたま古墳公園の「さきたま」は、埼玉県名の発祥と考えられている。公園内には、埼玉県名発祥の記念碑もある。
撮影日: 2015年3月31日
撮影場所:さきたま古墳公園
住所:埼玉県行田市埼玉4834