気迫と熱気が燃え上がる「ところざわまつり」は、毎年30万人以上の人出でに賑わう。明治時代の初期、神明社の秋の祭礼に始まった山車祭りである。
所沢市長(藤本正人)の開会宣言で「ところざわまつり」が開催された。
すずらん幼稚園マーチングバンドによるオープニングパレード。
西武所沢駅ロータリーにて山車が重松流の祭り囃子を奏でながら曳きまわしを披露した。
日本で初めて、所沢飛行場での飛行に成功したアンリ・ファルマン機より「ファルマン通り」と名付けられた商店街を曳きまわす御幸町の山車。
山車の隊列の先頭には、万度(まんど)を掲げた外国の子供も参加、国際的な祭りになった。
御幸町の山車で元気に舞う子供たち。西武所沢駅を起点に、昭和通り、ファルマン通り、銀座通り、金山町通りを威勢のいい掛け声で華麗な山車が曳き回される。
山車と女子神輿の曳っかわせ。女子神輿には、飛行機のプロペラをイメージした「プロペ」、日本で初めて所沢飛行場での飛行に成功したアンリ・ファルマン機の「ファルマン」の提燈が飾れている。
重松流祭囃子に合わせて、ひょっとこが舞う。重松流祭囃子(じゅうまりゅうまつりばやし)は天保元年(1830)に所沢村上の宿に生まれた「古谷重松」が編み出し、完成させた祭り囃子である。
重松流祭囃子の楽器、“大太鼓(長胴)”。「重松流祭囃子」は決まった音符を持たず、すべて口伝えされている。
気迫と熱気あふれる、よさこい鳴子踊り。このほかに、鼓笛隊やブラスバンドによるパレード、浅草サンバカーニバル、所沢音頭流し踊りなどが行われた。
可愛い少女の「手古舞」
手古舞は、本来江戸の祭礼において、山車を警護した鳶職のことである。現在は、地域の若い女性や少女が扮して、山車行列の先頭を行進して祭に彩りを添えている。
「ところざわまつり」は山車が中心。夕方からは統一行動と称した山車の曳きまわしが行われる。
山車と山車との対面、山車の周囲には大勢の人だかり。山車の上では所沢発祥の重松流祭囃子が奏でられていた。
重松流祭囃子の楽器、“和楽器の横笛”。笛のことを「トンビ」とも呼ぶ。笛から奏でる音が、タカ科の鳥トビの鳴き声に似ているからである。
山車の綱を持った子供曳き手が大活躍。曳き手衆が大きな声援で相手の山車を圧倒し、勝負は、曳き手衆の頑張りが優勢になる。
夕方の統一行動の山車巡行で、「ところざわまつり」は最高潮を迎えた。歩道から車道に溢れた大勢の観客と、山車の曳き手で身動き出来ない程の人出となった。
“腹が減っては戦はできぬ”。山車の曳き回し関係者の弁当タイム。夕方の統一巡行に向けて、全ての山車関係者が一斉に夕食弁当タイムに入った。
所沢東ロータリークラブによる綿菓子販売。3台の綿菓子機をフル稼働、低価格販売で子供達に大人気、長蛇の列が出来ていた。
所沢駅よりファルマン通りに続く“プロペ通り”航空発祥の地らしく商店街の名前も飛行機のプロペラをイメージした名称になっている。
飛行機の街を巡行する山車と神輿に気迫と熱気が燃え上がった!!
気迫と熱気が燃え上がる「ところざわまつり」は、明治時代の初期、神明社の秋の祭礼のときに始まったと伝えられている山車曳き回し祭りである。祭りは、所沢の中心市街地(西武所沢駅西口広場・昭和通り・ファルマン通り・銀座通り・金山町通り)を会場に開催された。朝から最高の秋晴れに恵まれ、所沢市長(藤本正人)の開会宣言と各団体によるオープニングパレードに始まり、豪華に飾った山車の曳き回し、神輿の練り歩き、民謡流し踊り、よさこいパレードなどが各会場で行われた。日暮れからは、提燈で飾られた山車と山車を向かい合わせて、おかめ・ひょっとこ、藤助、天孤などが舞い踊る「曳っかわせ」で、祭りは最高潮に達した。
所沢市は、日本で初めて飛行場が建設され、日本の航空発祥の地である。かつて飛行場があった所には所沢航空記念公園が作られ、所沢航空発祥記念館もある。街の名前も飛行機のプロペラをイメージした「プロペ通り」が有り、日本で初めて所沢飛行場での飛行に成功したアンリ・ファルマン機より「ファルマン通り」など飛行機に関連した名称を採用している。プロ野球球団、埼玉西武ライオンズの本拠地、西武ドームと西武グループの所在地でもあり、駅前には西武百貨店など西武の名を冠するビルが連なっている。
撮影日: 2013年10月13日
撮影場所:西武所沢駅西口
住所:埼玉県所沢市所沢駅西口