「仁王門」
宝暦8年(1758年)に造営されたもので、八脚門構造で格調の高い門である。老朽化のため昭和38年(1963年)解体修理され、屋根も茅葺きから銅板葺に改変された。2体の仁王像が安置されている。
「仁王門から望む観音堂」
富士の裾野で、父の仇討ちを果たした曾我兄弟は、勝福寺の仁王門に日参し、仁王尊に願をかけた。仁王尊は、五郎に百人力、十郎に十人力の怪力を授けたと云われている。
「金堂(観音堂)」
唐の僧、鑑真和上(がんじんわじょう)が唐から持参した十一面観音像を、奈良時代の僧侶、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が勝福寺に祀ったのがはじまりとされている。
「二宮金次郎初発願の像」
本尊の十一面観音に向かって静かに合掌している二宮金次郎(尊徳)。文化元年(1804年)18歳のとき、旅の僧が読む「観音経」を聞いて観音信仰に感動したのがこの勝福寺である。
「大日堂と大銀杏」
大日堂には東向きに大日如来、北向きには北向大師の2つの向拝を持つ変わった造りになっている。境内の大イチョウは高さ30メートル、推定樹齢700年、雄のイチョウである。
「境内」
境内にはケヤキやムクノキ、イチョウ、エノキなどの落葉樹が主で、他に、クスノキ、カヤ、イヌマキなどの常緑樹が生育している。
「鐘楼堂」
この梵鐘は、青銅製の和鐘である。寛永6年(1629年)小田原の鋳物師青木源右衛門の鋳造と梵鐘に銘文されている。
「馬頭観音堂」
馬頭観音と白馬像を祀っている八角の堂である。
「清龍水の名井戸」
徳川家康がこの井戸の水を飲み「いい泉」と言った事からこの地を飯泉と呼ぶようになたと云われている。
「青銅水鉢」
青銅製で、宝永元年(1704年)の作。龍頭船の形をしていて、船尾に十一面観音菩薩の坐像がある。
坂東札所第5番 飯泉山・勝福寺を動画でご覧ください。
「飯泉山・勝福寺(飯泉観音)の御朱印」
「飯泉山・勝福寺」
坂東札所第5番の「勝福寺(しょうふくじ)」は、相模国(さがみのくに)現在の神奈川県小田原市飯泉にある真言宗東寺派の寺院である。山号は「飯泉山(いいずみざん)」。本尊は「十一面観世音菩薩」である。飯泉観音(いいずみかんのん)とも称される。この寺は、奈良時代765年に弓削道鏡(ゆげのどうきょう)によって開創さてた。応永25年(1418年)に小田原城の鬼門鎮護の寺となり、このころ寺号を「勝福寺」に改めた。毎年12月中旬に、関東地方で一番早いだるま市「飯泉観音だるま市」が勝福寺境内で開催される。
撮影日: 2018年5月16日(動画:2023年05月10日)
住所:神奈川県小田原市飯泉1143