「仁王像(金剛力士像)」
昭和44年(1969年)不審火で本堂が焼失したが、仁王門は火災から免れた。金剛力士像は、文化15年(1818年)の造立である。
「手水場と安産不動尊」
筑波山の二柱の神が、天の矛で地を刺したところ清水が湧き出したと云われている。石段脇の堂には、安産不動明王が安置されている。
「仁王門」
天保年間(1830〜1844年)に建立された楼門形式の仁王門である。
「南明山の額」
仁王門には、天保年間の作と思われる「南明山」の額が掲げられている。右隣の蜂の巣が印象的である。
「観音堂(本堂)」
元禄13年(1700年)に観音堂(本堂)が再建されたが、昭和44年(1969年)に不審火により全焼してしまった。現在の観音堂は、昭和52年(1977年)に再建された。
「鐘楼堂」
境内には、鐘楼堂と大師堂があるだけの、こじんまりとした境内である。
「小さな境内」
かつて境内では、牛に飾りを付けて本堂を一周させる習俗や、草相撲の奉納などの催しが行われていた。
「大師堂」
大師堂とは真言宗の寺院で、弘法大師の像を安置する堂である。
「炭化した獅子」
昭和44年(1969年)の本堂火災で、炭化した木像の獅子などが境内に安置されている。
坂東札所第26番 南明山・清瀧寺を動画でご覧ください。
「南明山・清瀧寺(清瀧観音)の御朱印」
「南明山・清瀧寺」
坂東札所第26番の「清瀧寺(きよたきじ)」は、常陸国(ひたちのくに)現在の茨城県土浦市にある真言宗豊山派の寺院である。山号は「南明山(なんめいさん)」。本尊は「聖観世音菩薩」である。「清瀧観音」とも称される。この寺には、開創にまつわるさまざまな説がある。推古天皇15年(607年)に聖徳太子作の聖観音を竜が峰(寺の背後の山)に安置したのが始まりという説と、行基が刻んだ観音像を祀って寺を建立したのが始まりという説とがある。この他にも色々な説がたくさんある。元禄13年(1700年)に本堂(観音堂)が建立されたと云われているが、昭和44(1969年)参拝者があげたローソクが倒れて本堂が全焼してしまう。現在の本堂は昭和52年(1977年)に地元の人々の協力により再建されたものである。本尊の聖観音像は、第23番札所正福寺から寄進されたものである。
撮影日: 2020年8月29日(動画:2022年09月30日)
住所:茨城県土浦市大字小野1151