「多宝塔」
塔の中心となる心柱の墨書銘から、宝暦11年(1761年)に建立されたことがわかった。三間多宝塔で、下層は方形、上層は円形になっているのが特徴である。
「仁王門」
左右の仁王像(金剛力士像)は、金箔や彩色が風化した状態になっており、歴史を感じさせる。
「観音堂(本堂)」
享保17年(1732年)徳川幕府によって現在の山腹に再建されたものである。
「観音堂・向拝」
正面の額「園通閣」の文字は、老中だった「松平定信」の書とされている。
「阿弥陀堂」
鎌倉時代に彫刻されたとされる、像高140センチメートルの木造阿弥陀如来坐像が安置されている。
「鐘楼堂」
仁王門をくぐると、左側に鐘楼堂がある。ここから、館山市の街並みが見える。
「岩舟地蔵堂」
観音堂左奥に、大黒堂(手前)、龍王堂(左奥)、そして右奥に小さな岩舟地蔵堂がある。漁業の安全祈願のために、約50個の岩舟が奉納されている。
「那古寺・本坊」
本坊は、その寺院の寺務所である。本坊横には、南房総の温暖な気候を利用して大蘇鉄(オオソテツ)が植えられている。地元の力士が奉納したものと云われている。
「紫式部供養塔」
山頂展望台に登る途中に「古屋敷」と呼ばれるところがある。ここに紫式部の墓があったと云われている。元禄16年(1703年)の大地震まで、那古寺の本堂があったところだとも云われている。
「潮音台(展望台)」
本堂の脇道か山頂(展望台)に登ると、眼下に館山湾(鏡ヶ浦)が広がる。
坂東札所第33番 補陀洛山・那古寺を動画でご覧ください。
「補陀洛山・那古寺(那古観音)の御朱印」
那古寺は、坂東観音霊場の第33番札所である。すなわち「結願(けちがん)」となる。納経帳にはこの寺の朱印と共に結願の印(左上)が押される。
「結願(けちがん)の証」
「巡拝畢(じゅんぱいおわる)」の横に日付と氏名が墨書される。「畢(おわる・ひつ)」とは、それまで続いていたことが終わることを意味する。終了ではなく、新たな始まりでもある。
「補陀洛山・那古寺」
坂東札所第33番の「那古寺(なごじ)」は、安房国(あわのくに)現在の千葉県館山市にある真言宗智山派の寺院である。山号は「補陀洛山(ふだらくさん)」。本尊は「千手観世音菩薩」である。「那古観音」とも称される。奈良時代、養老元年(717年)僧「行基」が元正天皇の病気平癒(へいゆ)を祈るためこの地を訪れ、千手観音菩薩像を刻み安置して、祈願したら、天皇の病は平癒したと云う。そこで天皇の祈願により那古山の山頂に観音堂を建立して、千手観音菩薩像を祀ったのが始まりと云われている。
撮影日: 2018年10月16日(動画:2022年10月27日)
住所:千葉県館山市那古1125