「観音堂」
正面の向拝に「矢之堂(やのどう)」「秩父廿一番」の扁額が掛かっている。観音寺は通称「矢之堂」と呼ばれていた。観音堂は大正12年(1923年)に隣接する小学校の火災によって類焼し、翌年、寺院の解体廃材で建てられた仮堂のままである。
「八幡宮」
昔、この観音寺は、八幡宮の社地で、観音像を安置するとき、この一帯の悪鬼共が反抗して火の雨を降らせた。このとき土地の守り神の八幡神が鏑矢(かぶらや)を放って火を追い払ったと云われている。
「宝篋印塔と石仏群」
境内には11体の地蔵石仏群と宝暦14年(1764年)造立銘を持つ「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が並んでいる。
「松尾芭蕉の句碑」
境内の「松尾芭蕉の句碑」には、「しずかさや 岩にしみる 蝉の声」と刻まれている。句碑の説明には、大正13年(1924年)建立、この地の画家「写梅園習斉」の書を刻んだと書かれている。
「境内の供養塔」
左には、一人で念仏を百万回唱える「百万遍唱念塔」右には、インドの女神弁財天を祀る「弁財天石塔」が並んでいる。
「中村十九十郎の墓」
観音寺の駐車場の片隅に「中村十九十郎(なかむらともじゅうろう)」の墓がある。秩父地方の田舎芝居「大和座」の座頭だった人物である。明治42年(1909年)没、62歳と記されている。
秩父札所第21番 要光山・観音寺を動画でご覧ください。
「要光山・観音寺の御朱印」
「要光山(ようこうざん)・観音寺(かんのんじ)」
宗派/真言宗豊山派 本尊/聖観世音菩薩
この観音寺は、通称「矢之堂(やのどう)」と称し、本尊は「聖観世音菩薩」で他に「阿弥陀如来像」などの仏像がある。大正12年(1923年)近隣の小学校火災の飛び火により全焼したが、翌年再建された。観音堂が「矢之堂」ともよばれているのには、いくつかの由来話がある。その昔、行基菩薩がこの地を訪れ、八幡の社地(神社の境内)に「聖観音」の像を刻み、祀ろうとした。これを伝え聞いた所の悪鬼共が、観音像の開眼の日に火の雨を降らせて妨害した。その時白馬にまたがった「八幡神(やはたのかみ)」が現れ神矢を放ち悪鬼を打ち払ったという。このことから「矢之堂」と名付けられた。
撮影日: 2021年10月2日
住所:埼玉県秩父市寺尾2354