「久昌寺の参道入口」
鬼女(きじょ)の伝説もある久昌寺、ここ久那の岩屋に悪行を積み重ねた鬼女が住んで居たといわれている。
「朱塗りの仁王門」
山門の左右に金剛力士を置いた仁王門で、「御手判寺(おてはんじ)」と書かれた扁額が掲げられている。「性空上人(しょうくうしょうにん)」が閻魔大王からもらった「石の手判(手形石)」をここ久昌寺に納めたことによる。
「観音堂」
堂内には宮殿形の厨子が置かれ、本尊の「聖観世音菩薩」が安置されている。一木造りの立像で、室町時代の作と云われている。堂の外部には、龍や唐獅子、獏(ばく)などの霊獣が彫刻されている。
「観音堂・向拝」
向拝の欄間の左側に「御手判寺・閻魔大王」と記載された扁額が掲げられている。堂内に迫力のある「閻魔大王」が祀られている。格子窓を通して拝観できる。
「地蔵堂」
観音堂の左側に「奪衣婆(だつえば)像」を祀った堂がある。「三途川(さんずのかわ)」は、現世とあの世を分ける境目にあるとされている。三途川の渡し舟の料金は六文と定められており、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃の代わりに「奪衣婆」が死者の衣類を剥ぎ取ることになっていた。ちなみに、三途川を渡ると「閻魔大王(十王の一人)」が天国に行くか、地獄に落とすかを決める。
「弁天池と本堂」
観音堂の裏手には「弁天池」があり、池の淵に小道がありこの奥に久昌寺の本堂と納経所がある。水面に堂宇の屋根や周囲の木々の緑が映り、観音堂裏手から眺める風景はすばらしい。
「本堂」
久昌寺は、観音堂と本堂が別になっている。本堂には、本尊「阿弥陀如来」が祀られている。「阿弥陀如来(あみだにょらい)」は、「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」の「如来(諸仏の称呼)」の一つである。阿弥陀如来像は、「鎌倉大仏」が有名である。
「弁天堂」
「白龍王弁財天」と呼ばれる弁財天が祀られている。弁財、知恵、延命、幸福を司るとされている。
「御手判の版刷り」
秩父札所を開いた「十三権者(じゅうさんごんしゃ)」の一人「性空上人(しょうくうしょうにん)」が「閻魔大王」からもらった「石の手判(手形石)」をここ久昌寺に納めたという。これは、その石の御手判から刷った版刷りである。あの世(天国)へ無事に行ける通行手形だといわれている。
秩父札所二十五番 岩谷山・久昌寺を動画でご覧ください。
「岩谷山・久昌寺の御朱印」
「岩谷山(いわやさん)・久昌寺(きゅうしょうじ)」
宗派/曹洞宗 本尊/聖観世音菩薩
この札所は通称、「御手判寺(おてはんじ)」という。この由来は「十三権者(じゅうさんごんしゃ)」の一人「性空上人(しょうくうしょうにん)」が、秩父巡拝の折、「閻魔大王(えんまだいおう)」から贈られた石の「手判(手形石)」をこの寺におさめたという。これにちなんで御手判寺ともいうのである。観音堂は三間四面、表流れ向拝をふんした方形造りで堂内には宮殿形の厨子がおいてある。本尊は、「聖観世音菩薩」立像一木造り、室町時代の作といわれている。
その昔、様々な悪行を積み重ね、家族や村人からも追い出された「鬼女(きじょ)」が居た。鬼女は、ここ久那の岩屋に住み始め、一人の女の子を出産した。しかし、これまでの悪行がただり、娘が十五歳の時に命を落とした。残された娘は母親とは異なり、美しい心の持ち主だった。母親の罪を大変悲しみ、後生で母親が苦しまないようにと村人の協力により観音堂を建立し観音様を安置した。これが久昌寺の起こりだといわれている。
撮影日: 2022年05月2日
住所:埼玉県秩父市久那2315