「三重塔と那智の滝」
朱塗りが美しい三重塔。昭和47年(1972年)に再建された。背景に那智原始林の間から流れ落ちる落差133メートルの那智の滝が見える。
「本堂(観音堂入り口)」
推古天皇時代、生仏上人(しょうぶつしょうにん)が刻んだ「如意輪観音像」が祀られている。
「観音堂外陣」
外陣上部に掛かる日本最大の「鰐口(わにぐち)=大きな鈴」、本堂再建の際、豊臣秀吉公より寄進されたものである。直径1.4メートル重さ450キログラム。鰐口にその再建の趣旨が刻まれている。
「本堂(観音堂全容)」
那智山の中腹、標高約350メートルに建つ現在の本堂は、天正18年(1590年)豊臣秀吉によって再建された。
「仁王門」
石段の上に建つ仁王門には、仁王像と狛犬が背中合わせに安置されている。昭和8年(1933年)に再建されたものである。
「宝篋印塔」
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる「仏塔」である。鎌倉時代、元享2年(1322年)造立とされている。重要文化財に指定されている。
「鐘楼」
吊り下げられている梵鐘は、鎌倉時代、元享4年(1324年)に鋳造されたものである。
「尊勝院」
那智山を開山した「裸形上人像」が安置されている。中世以降、天皇皇族が熊野詣りの宿泊所に当てられていたことで有名である。
「水子堂」
本尊の「如意輪観音菩薩」には、難産を緩和させるといった妊婦さんにうれしいご利益もある。不幸にして「水子」になった霊を慰め、供養する為に水子堂が建立された。
「熊野那智大社」
青岸渡寺(本堂)の隣に、熊野那智大社の本殿が建ち並んでいる。熊野本宮大社・熊野速玉大社と併せ「熊野三山」と呼ばれている。明治時代の神仏習合が廃止され。熊野那智大社の「如意輪観音堂」が「青岸渡寺」として復興した。
西国札所 第1番 那智山・青岸渡寺を動画でご覧ください。
「那智山・青岸渡寺(那智山寺)の御朱印」
「那智山・青岸渡寺」
西国札所第1番の「青岸渡寺(せいがんとじ)」は、紀伊國(きいのくに)現在の和歌山県東牟婁郡(ひがしむろぐん)那智勝浦町にある天台宗の寺院である。山号は「那智山(なちさん)」。本尊は「如意輪観世音菩薩」である。この寺は、仁德天皇の時代(4世紀)、インドから渡来した「裸形上人(らぎょうしょうにん=インドの僧)」によって開かれたと伝えられている。裸形上人は、那智の滝で修行中、滝壺で得た小さな金製の観音菩薩を草庵(小さな茅葺き屋根の堂)に安置したのが始まりとされている。後に、推古天皇時代の頃「生仏上人(しょうぶつしょうにん=関東地方の僧)」が「如意輪観音像」を刻み裸形上人が得た小さな観音菩薩を胎内に納め、本尊として本堂を建立して安置した。平安時代には、熊野本宮大社・熊野速玉大社と併せ「熊野三山」と呼ばれ、皇族・貴族の熊野詣りが何度も行われた。明治時代の神仏習合が廃止されたとき、熊野那智大社の「如意輪観音堂」が破却を免れ、信者の手で「青岸渡寺」として復興した。
撮影日: 2019年05月13日(動画:2023年6月16日)
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8