西国札所第4番 施福寺

槇尾山(まきのおさん)

施福寺(せふくじ)

槇尾寺(まきのおでら)

西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「本堂内陣」

中央に寺の本尊・弥勒菩薩(みろくぼさつ)の鎮座像。左に札所本尊の十一面千手観世音菩薩の立像が安置されている。右には文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の立像。そして、周囲を手前の四天王が固めている。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「本堂(観音堂)」

施福寺は、槇尾山、標高600メートルの中腹約530メートルの地点に本堂を構えている。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「本堂向拝」

現在の本堂は、弘化2年(1845年)の山火事で焼失。後に、安政年間(1854〜1860年)に再建されたものである。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「本堂広縁」

本堂広縁に吊り下がる「大提灯」。江戸時代に再建された本堂広縁の壁の上部には、信者が奉納したさまざまな額で埋め尽くされている。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「西国三十三ヶ所観音堂」

西国三十三ヶ所の各観音像を安置する小さな堂である。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「愛染堂(弘法大師御剃髪所跡)」

空海(弘法大師)が、この寺で修行(仏門)に入るときに、ここで剃髪(ていはつ=髪を剃る)した場所である。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「仁王門」

弘化2年(1845年)の山火事で、この仁王門を残して施福寺の建物は、ほぼ全て焼け落ちてしまった。仁王門の階段前で「迎え観音像」が出迎えてくれる。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「仁王像」

睨みを利かせる仁王像。巡礼の安全を願う草履が掛けられている。仁王門を抜けると石段の難所が始まる。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「本堂への階段・参道」

本堂に至るには、約1キロメートルもの急な階段を、約30分登らなければならない。西国三十三ヶ所のなかでも厳しい参道と知られている。


西国札所第4番 槇尾山・施福寺(槇尾寺)を動画でご覧ください。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺】

「槇尾山・施福寺(槇尾寺)の御朱印」


「槇尾山・施福寺(槇尾寺)」

西国札所第4番の「施福寺(せふくじ)」は、和泉國(いずみのくに)現在の大阪府和泉市にある、天台宗の寺院である。山号は「槇尾山(まきのおさん)」。本尊は「十一面千手千眼観世音菩薩」である。通称「槇尾寺(まきのおでら)」とも称される。この寺は、槇尾山(標高600メートル)の中腹、約530メートル地点に本堂を構えている。麓には駐車場があるが、本堂に至るには、約1キロメートルもの急な階段の参道を登らなければならない。西国巡礼の難所とされている。欽明天皇の時代、播磨国(はりまのくに=兵庫県)の僧・「行満上人(ぎょうまん)」が創建したものとされている。宝亀2年、槇尾山寺に住んでいた摂津国(せっつのくに)の僧・法海(ほうかい)のもとに、一人のみすぼらしい修行僧がいた。辛い仕事でも不平を言わずに行う僧は、修行を終えて下山した。これを知った法海は後を追ったが、修行僧ははるかかなたの海上を沈みもせずに歩いていった。あの修行僧は観音の化身であったと悟り、千手観音の像を刻んで祀ったのが始まりとされている。


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺(槇尾寺)】 境内マップ| フォトさいたま


西国札所 第4番【槇尾山・施福寺(槇尾寺)】 | フォトさいたま


撮影日:

住所:大阪府和泉市槇尾山町136