「本堂(観音堂)」
現在の本堂は、貞治2年(1363年)の再建である。鎌倉時代の様式を伝える本堂は、国の重要文化財に指定されている。
「本堂外陣」
当初は、西光寺と呼ばれていた。後に、仏教で六種の修行を意味する言葉「六波羅蜜」から寺号を改称した。
「本尊・十一面観音を模した像」
本堂には、空也(くうや=平安時代の僧)の作と伝わる高さ2.5メートルを超える木造・十一面観音立像が安置されている。
「平 清盛の塚」
平 清盛(たいらのきよもり)は、平安時代末期の武将である。京都の生まれとされている。六波羅蜜寺付近一帯が平家一門の拠点になっていたと考えられる。
「阿古屋塚」
阿古屋(あこや)は、平景清(たいらのかげきよ)の恋人と云われる伝説上の人物。浄瑠璃・壇浦兜軍記などの歌舞伎に登場する。石造り宝塔は、鎌倉時代の作と云われている。
「境内の地蔵石仏」
本堂の脇に、時代を経た石仏が祀られている。本堂の解体修理のとき、境内から発掘されたものである。
「道元禅師説法の遺蹟」
永平寺を開山した道元禅師(とうげんぜんじ)は、寛永元年(1243年)に、この六波羅蜜寺において、「正法眼蔵」「古仏心」を明らかにしたのを顕彰するために建立された。道元は、正治2年(1200年)京都の久我家(こがけ)に生まれた。
「銭洗い弁財天」
手持ちの金銭をきよめと、金運を授かると云われている。水掛不動尊、水子地蔵尊が並んでいる。
西国札所第17番 補陀洛山・六波羅蜜寺を動画でご覧ください。
「補陀洛山・六波羅蜜寺の御朱印」
「補陀洛山・六波羅蜜寺」
西国札所第17番の「六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)」は、山城國(やましろのくに)現在の京都府京都市東山区轆轤(ろくろ)町にある、真言宗智山派の寺院である。山号は「補陀洛山(ふだらくさん)」。本尊は「十一面観世音菩薩」である。「市聖(いちひじり)」と呼ばれた「空也(くうや=平安時代の僧)」が、天暦5年(951年)京都に疫病が大流行して死者があふれた時、自ら刻んだ十一面観音像を、大八車(だいはちぐるま)に載せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に薬茶をふるまって多くの人を救ったと云われている。応和3年(963年)に鴨川岸に、数百名の僧を集めて大規模な大般若経供養会を行った。このときに「西光寺(当時)」を創建して、十一面観音像を安置したのが始まりと云われている。空也の死後、比叡山の僧によって「六波羅蜜寺」と改称された。現在の本堂は、貞治2年(1363年)に再建されたものである。本尊は、木造十一面観音立像で、高さ2.5メートルを超える巨像である。12年に一度辰年に開帳される秘仏である。1999年に国宝に指定された。
撮影日: 2019年6月3日(動画:2023年9月25日)
住所:京都府京都市東山区五条通大和大路上ル東2丁目轆轤町81-1